2015年4月5日日曜日

タブラボンゴはどんな楽器?

どんな音が出るの? どう使えばよいのか?

ASA-CHANGが実際に音を出して教えてくれますよ。

実際にご自分で叩いてみましょう。
この機会にぜひタブラボンゴの魅力を体験してみませんか。
きっとタブラボンゴのユニークな楽しさ、ASA-CHANGのおもしろさを
知ってもらえることと思います。

4月19日(日曜日) 15時~16時 参加費¥2500
お申し込みはairgarage.lesson@gmail.comまでお名前、ご住所、連絡先、を添えてどうぞ。

マイタブラボンゴを実際に自分で作って、基本のフレーズや使い方を習得する
「タブラボンゴ入門3回コース」も5月に行う予定でおります。
そちらもぜひご参加ください。

またエアガレージレッスンでは
タブラボンゴ定期レッスンも毎月行っております。

入門3回コースが終了した後、定期レッスンに参加していただけると
もっとたくさんのフレーズやアンサンブルなどいろいろ楽しんでいただけますよ。

2014年5月2日金曜日

((道草ちゃん)) 30年代ファッション

(((おんがく目レキシ科))) ロカビリー誕生六 ブギウギで書いた内容の時代は1800年代後半から1930年代位まで。

で、1920年代頃にはブギウギピアニストがたむろっていて、この頃のダンスがひとつ前の記事、日本のブギウギの最後に載せたスーパーかっこいいダンスLindy Hop!

ダンスもさることながら、とにかくおっされーな服装だと思いませんか?

この頃の服、最近よく街で見かけますよね!
そうそう。昨年から流行っているペンシルスカート(いわゆるタイトスカート)。スカート丈はちょっと今のほうが短いですけど。
それから、すこしヒールのあるワンストラップシューズにくるぶし丈のソックス。これも良くみかけますね!
さらに言えば、ウエストマークのスカートにトップスをインする着方。まさに今流行っている服装ってまんまこの30年代ではないですか!



現代のはこんな感じ (WEARから拝借しました)。たぶん今のは80年代の雰囲気も入ってるのかな。

  

古着好きの私は断然30年代の方が好きですけど。。

でもでも、純粋に30's fashionでグーグル先生に聞いてみると、けっこう様子が違います。
1930年代ファッションは1929年からの世界恐慌の影響を存分に受けているようですよ。

長いですけど、この動画面白いです。



今日はこのへんで。
は~古着屋さんに行きたくなってきたぞー!

ogu



2014年4月25日金曜日

((道草ちゃん)) 日本のブギウギ



前回からずいぶん間が開いてしまったので、、思い出すまでちょっといっぷく。。

ブギウギについて書いていたんですけど。。。
そういえば、日本にもブギウギと付く歌ありますよね。

例えば笠置シヅ子さんの 『東京ブギウギ』


ん~。とっても良いけど、どのあたりがブギウギなんだろう。。?

あ、あと市丸ねえさんの『三味線ブギウギ』


んんん~。なんか良い!でもなんでブギウギ?
前口上を聞いてみると「さぁ、涙を拭って聞いてください。戦後ブギというリズムが流行りました」と言ってますね!

さっそくwiki先生に聞いてみると
日本では服部良一が1930年代にブギを紹介、終戦直後に笠置シヅ子が服部作曲の『東京ブギウギ』、『買物ブギー』などのヒットを飛ばし「ブギの女王」の異名をとった。」(wikipedia)
と紹介されています。

へぇ~。あの服部良一さんが仕掛け人だったんですね!

ん~。でもやっぱり日本のブギウギは本国のブギウギとは別物の感じがしちゃうなぁ~。

そりゃそうですよね、↓こんなダンスが踊れちゃう人達の音楽のノリは日本人にはなかなか。。






ogu

2013年10月21日月曜日

(((おんがく目レキシ科))) ハワイアン音楽② ~清水さんからの手紙~

お待たせしちゃいました。。清水さんのお手紙続きです!その1はコチラ

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Slack-key
ハワイアンを学び出すとよく耳にする言葉がありました。
それはハワイ語で「kī hōʻalu」(キー・ホーアル)という言葉です。
それはスラック・キーの事を言います。「Slack-key」(ゆるめるキー)
ちなみにスラック・キー・ギターの事をハワイ語で(キーカー・キー・ホーアル)と言います。


ではなぜハワイの人は弦をゆるめて弾いたのか?と気になる訳ですが、
ハワイ島にメキシカン・カウボーイがギターを担いで入って来たのが1832年だそうです
その昔カウボーイが弾くギターを見よう見まねし、
キーをゆるめ、ハワイ的な音色に合った開放調弦奏法を見つけたそうです。
調弦は名家の秘伝だったそうです。なので後ろを向いて演奏していたなんて話もあります。
チューニングもいろいろありますがここではスタンダードをふたつだけ。
まずはタロパッチ・チューニング。ハワイ語でタロイモの水田という意味です。
6弦からD.G.D.G.B.D  (スライド・ギターを弾く方はオープンGと言います)
そしてGワヒネ・チューニング。ハワイ語で女性という意味です。
6弦からD.G.D.F#.B.D

Slack key duet



「ウクレレの謎」
1878年ポルトガル人がサトウキビ労働力としてハワイに入りました。
その時に持ち込んだ小型の4弦楽器が「ブラギーニャ」でした。

続いて1879年入港した船の中には演奏家や楽器職人が3人いたと伝えられています。
ポルトガル人がハワイで楽器を作り出し、演奏しピラリイリイと親しまれたそうです。

「ピラリイリイ」とは?ハワイ語で小柄のヴァイオリンという意味だそうです。
改良を重ね作りあげたひとりの職人がNUNES UKULELE」を立ち上げます。
その後、1911年に「クマラエ」がウクレレの生産を始めます。

1915年のサンフランシスコで開催された「パナマ太平洋博覧会」でクマラエ・ウクレレが
金賞となり、アメリカにもウクレレが渡りハワイアンブームが起きます。
1910年代後半から「マーチン」社がマホガニーでウクレレの生産を始めます。
そしてハワイでは1916年に「カマカ」社 が設立されました。

こうしてウクレレは市場に参入していきます。
ちなみに昔のチューニングは4弦からA.D.F#.Bが多いようです。
これをアメリカン・チューニングなんていう人もいます。

ウクレレという言葉はハワイ語で「飛び跳ねる(lele)ノミ(uku)」という意味ですが
諸説いろいろあるようです。当時人気奏者のあだ名から取られたとも言われているし
ハワイの古楽器である「ウケケ」(ukekeからとられたとかなまったという説。
小さな楽器の上で奏者の指が目まぐるしく動く様を表現したとも言われています。

Roy Smeck


「ハワイアン・スティール・ギター」
さて盛り上がってまいりました。
インド伝来説、またはジョセフ・ケクークが1889年に始めたとの説が伝わるのが
そうです!「スティール・ギター」と言われております。
スティールを語るにはスラック・キー・ギターの事を忘れてはいけないのは大前提です。
ギターを膝の上で寝かし、鉄の棒、または骨などを使い、指板の上をすべらせて弾いたのが始まりだったとされています。

スティール・ギターの進化は後のエレクトリック・ギターにものすごく影響を与えています。
他のヤツより目立ちたいと思ったのでしょうね。少しでも音を大きく出したいという事で
ネックを中空型にしました。これがいわゆる「ワイゼンボーン」スタイル。

それでもまだまだと言う事で金属製の円形の薄い共鳴板をブリッジの下に取り付けた。
これがいわゆる「リゾネーターギター」と言います。
これでも満足しなかった演奏家はエンジニアに相談し、電気式を考えた訳ですね。
電気式スティールギターの始まりは「Rickenbacker社とされています。
これが1932年頃の事です。「A22型」通称“フライパン”の登場です。
ちなみに古いロゴは(cker)ではなく(cherのスペルでリッケンバッチャーです。
スティールのお陰でフェンダー社やギブソン社がエレクトリック・ギターを産みました。




「年代とスティール・プレーヤー」
20世紀に入り、ハワイアン・ミュージックがアメリカ本土におけるポップミュージックの再構築にひと役買いつつあったとされています。


1910年代:ハワイのミュージシャン達はアメリカ本土を目指す。
そしてキング・オブ・スティール・ギターのソル・フーピー登場。
ジャズ!ブルース!なんでも来い!と軽やかなトーン・バーさばき!
三連弾きのトリプレットは100年経っても色褪せない。

1920年代:アメリカ社会の中で認められはじめ、ハワイアン・ミュージックが定着しはじめる。
そこでカラマズ・カルテット登場。

1930年代:ジャイブ、ジャズが流行し、ハワイアンにもその波が!
ヒットソングを連発!アンディ・アイオーナ登場!

30年代に忘れてはいけないのが、本土のスーパースターのビング・クロスビーだ。
彼は37年アカデミー主題歌賞を「ブルーハワイ」と「スイート・レイラニ」で受賞する。

1940年代:第二次世界大戦と言う大きな出来事がある時期。ハワイアンは円熟期に入る。
ディック・マッキンタイアが登場!彼もビング・クロスビーなどのバックを務めている。

1950年代:ハワイに観光ブームが訪れる。ラジオ番組「ハワイ・コールズ」から登場。
ハワイ・コールズ黄金期。スティールはジュールス・アー・シー&バニー・アイザックス!

"Sol Hoopii" 1943


"Kalama's Quartet" New York in January 1927 
このブログ動画検索で出てこなかった(残念。。)のでリンクをクリックしてみて下さい

"Andy Iona"  Ta-Hu-Wa-Hu-Wa-I



"Bing Crosby" Blue Hawaii


"Hawaii Calls" Radio Intro


Barney Isaacs


「ハワイアン・スタイルとスライド・ギター」
私の友人であり、このスタッフ・ブログを書くOさんが書いているブルースのスライド・ギターとの関係が私も気になる。 
「時は1903年ミシシッピのとある駅で“ある男”が弦にナイフを押しつけながら、ギターを弾いていた。そこで生み出された音はとても忘れられる代物ではなかった。今まで一度も聴いたことのないような、この世のものとも思えぬ音楽だった。」
と言う無名のアフロ・アメリカンに関する記述が残っているそうです。


1920年代になるとケンタッキー出身のシルヴェスター・ウィーヴァーは「Guitar Rag」という曲でラップ・スティール・スタイルのオープンDューニングによる演奏をレコーディングし、ラグタイムやハワイアンを忠実に再現していたとあります。
そしてあのミシシッピ・デルタ・ブルースの草創期を築いたとも言えるチャリー・パットンは1929年頃やはりナイフでスライドプレーをしています。
彼の姿を見ると普通にギターを弾くスタイルではなく、上から追い被さるように6弦側から指板にナイフをあて弾いているあくまでも絵なのか写真なのかも分からないジャケットなので謎ですが・・・。

Charlie Patton


戦前のスライド・プレーヤーと聞くと黒人を連想してしまいますが、1920年代白人スライド・プレーヤーも存在していた訳ですよね。
スティール弾きのスーパーアイドル、弦の魔術師こと「ロイ・スメック」 彼はハワイアン・スティールの名手。そして白人スライド・ギターの名手と言えば「ジミー・タールトン」でしょう。トム・ダービーと異色のヒルビリー・デュエットを組み、ヒットを飛ばしています。ちなみにタールトンはラップ・スタイルで弾いている。

Darby & Tarlton


調べてみると1889年ジョセフ・ケクーク説があるので、ハワイアン・スティールはスライド・ギターより少しだけ歴史が古いと今の時点では考えて良いのかもしれません。
そして何時かはラグタイムを調べないといけないという事ですよね。それにしても“説”ってのは面白いですね。




あとがき
私は高田漣先生に約4年スティール・ギター。桜井芳樹先生にウクレレをまる3年教えていただいた。その6年間と言うのは一言でいって「濃い」時間でした。教室に通うわずかな時間でどっぷりとスティールやウクレレにハマってしまいました。 先生は決してスティールやウクレレだけ教えるのではなく「音楽の楽しさ」を教えてくれました。それは楽器の事もです(笑) 私のような素人がここまでハワイアンなどに魅せられてしまったのは、いかにエアガレージで教えている講師の方の熱意と情熱。そして闘魂注入されたからだと思います。


※発売されている本や自分なりに調べ、文章を書いておりますのであくまでも“説”です。
優しい気持ちでお読み下さい。

スチール清水 (レンダース)
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かなーり、充実した内容のお手紙でした!ハワイアンブームにのっかってスティールギターの拡散が進んだとか。。ブームによっていろいろな場所に楽器や音楽が広がり根付いて混ざっていくのは面白いですよね!

2013年10月14日月曜日

(((おんがく目レキシ科))) ハワイアン音楽① ~清水さんからのお手紙~

その三 ヒルビリースライドギター で呼びかけたSさんこと清水さんから、ハワイアン音楽についてとっても興味深いお話が届きました!いぇーい!!
ということで、今回は清水さんからの素敵なお手紙をアップします。
(動画は私アップなので、、ちょっとずれてたらごめんなさい)

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夢の国ハワイ
はじめに
私がハワイに初めて行ったのは1987年の事。
まだワイキキに建ち並ぶホテルのプールサイドで沖縄のヒットソングなどが演奏される前の事。「アメカジ」「サーフィン」「スケートボード」に夢中だった当時の私には、ハワイはパラダイスだった。
19924ヶ月間のサーフィン留学をする事となる。これはもちろん名ばかりで毎日遊ぶがテーマ。そして少しだけ砂糖黍畑や果樹園で120ドル稼ぐ為にバイトをする日々だった。
合わせて10回程ハワイには行った。こんなにもハワイが好きだったのに、ハワイの音楽など全く興味をもたなかった事を後に後悔する事となる・・・。

 90年代後半あたりから毎日のように通うエアガレージでは2002年頃、高田漣先生のウクレレ教室がスタートしていた。
時同じ頃、私はなぜか1本のスティール・ギターを手に入れた。格安だった事もあり、弦も張っていない物だった。「確かエアガレージにスティール・ギターの弦が1セットだけ売っていたはずだ!」と思い出し、私はエアガレージに走った。
店長とそのスティールで遊んでいると店長が「そうだ清水君!漣君にスティール教室頼んでみようか!」と言うのが、スティール・ギター教室が始まる歴史の一歩となる。
漣先生の演奏をこの目で見た日からスティール・ギターに“ゾッコン”してしまう。

 後悔、ハワイに数回行き楽器屋へ行ったのはわずか1回だけ。
後悔、ハワイでハワイの音楽をちゃんと聴いたのはゼロ。
スティールを弾き出してから後悔した事は言うまでもない。

  
「ハワイの音楽」
マルケサス諸島からポリネシア人がハワイ諸島に入ったのが500年頃と言われています。
祭事に詠歌するのが「オリ」(OLIこれは祝詞を詠唱するようなものだったそうです。
それにもう少しメロディーをつけて唄うのが「メレ」(MELE
オリやメレと共に手付き、身振り舞のように詠歌を伝えたのが「フラ」(HULA)です。

※ちなみに当時はオリもメラもフラも男性のものだったそうです。
フラと共に興じられた詠唱が「メラフラ」(MELE HULA)です。
ハワイアンを聴いていて「なんでファルセットなんだろう?」と思った事ないですか?
これはどうやらファルセットの裏声で遠くの海や森まで詠歌を響かせる為だったそうです。

OLI ALOHA

MELE

MELE HULA



「ハワイの古楽器」
さてウクレレやスティール・ギターの演奏が入る前は一体どんな音楽だったのでしょうか?
オリ・メレは打楽器と笛などの伴奏がともなう事が多いそうです。
ハワイらしく楽器は木や石など使う事が多く、骨製も多いとの事です。
太鼓はココナッツの木にシャークスキンを張って作るのが「Pahu」(パフ)
大きいひょうたんを使った鼓 「ipu」(イプ)
石のカスタネット 「ili ili」(イリ・イリ)
竹の筒打ち 「ka'eke'eke」(カ・エケ・エケ)
鼻笛 「Ohe Hano Ihu」(オヘ・ハノ・イフ)などなどです。

Pafu Drum
 Ipu


Ili Ili

ka'eke'eke

Ohe Hano Ihu (ゆる~い説明長いです。そして結局???のオチが良かったです)

つづく
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はい。今日はここまでにします! 続きは近日アップしまーす!
そうそう。高田漣さんのレッスンにご興味を持たれた方はエアガレージまでご連絡下さいね!

おぐ

バックナンバー
(((おんがく目レキシ科)))

2013年9月27日金曜日

エアガレージレッスン 生徒募集中!

店長の「何か書いといて~」という依頼は無視できませんので!ビシッ!
考えあぐねた結果。そういえば、エアガレージレッスンの全貌をまとめた記事を書いていないことに気づきました。

どんどんレッスンも増えていまして。全部のレッスンを受ければ一人で大所帯バンドが出来ちゃいますよね♪


【エアガレージレッスン講師陣 (敬称略)

♪ASA-CHANG <ドラム・パーカッション・タブラボンゴ>
開催曜日: 土曜日と日曜日

♪阿部 光一郎 <ベース>
開催曜日: 月曜日

♪荒井 伝太 <ブギウギピアノ>
開催曜日: 火曜日と日曜日

♪桜井 芳樹 <ギター・ウクレレ>
開催曜日: 月曜日と土曜日

♪高田 漣 <ウクレレ・アコースティックギター・スチールギター・スライドギター>
開催曜日: 土曜日と日曜日

♪塚本 功 <ギター>
開催曜日: 日曜日

♪原 さとし <バンジョー>
開催曜日: 土曜日

♪八橋 義幸 <ギター>
開催曜日: 木曜日

どのレッスンも全くの初心者の方~上級者の方までご参加いただけます!!

ご興味持たれた方は、店長 川内までお問い合わせください。
airgarage.lesson@gmail.com
こちらのメールがレッスン専用のメールになりますので、ご希望のレッスン名、お名前、ご連絡先をお送りくださいね。

ご連絡お待ちしてます!!



2013年9月23日月曜日

(((おんがく目レキシ科))) ロカビリー誕生 その六 ブギウギ

その五までは主に白人音楽に関しての情報でしたが、今回からはさらに重要な黒人音楽について書いていこうと思います。
と言っても、調べれば調べる程あらゆる国・人種のあらゆる音楽がお互いに繋がり混ざりあっていて「黒人音楽」「白人音楽」「混血音楽」etc... と書いて行くのがそもそもナンセンスな感も否めないですが。。

まぁ、その辺はのちのち書いて行くとして。
今日はロックンロールにも直接的影響を与えているブギウギについてです。
切り口はロカビリーですので、その一で載せたフローチャートをもう一度。



ロカビリーに影響を与えた黒人音楽は様々ありますが、もちろんそれぞれの音楽にも成り立ちがあります。



ブギウギを語る上で、切っても切りはなせないのは"ラグタイム"と"ブルース"です。
ラグタイムは主に1897年〜1918年に流行した音楽で、特徴はシンコペーションリズム。


St. Louis(ミズーリ州)やNew Orleans(ルイジアナ州)のアフリカ系アメリカ人のコミュニティーでダンス音楽として始まった音楽で、Ernest Hoganという人がこのジャンルの確立に尽力した様です。



ん〜。さすがに音源がみつからないので。。
Ernest Hoganが書いた"La Pas Ma La"を演奏するRagtime Skedaddlersの映像を。

1899年にJohn Philipが発表した"Maple Leaf Rag"は聴いたことがある方も多いのではないでしょうか?

アフリカンミュージック特有のポリリズムとなまり感が、ヨーロッパの音楽とは違う雰囲気ですよね。リズムが遅れた感じで聴こえるのでRag(タイムラグのラグ)という言葉が付けられたようです。
ただし、ラグタイムは後のジャズとは違って楽譜がきちんとあってその通りに演奏するのが基本というクラシック音楽の系譜を踏んでいます。
そしてラグタイム自体は、1918年以降1970年代にリバイバルブームが来るまで陰を潜めてしまいます。。地道に続けていた人もいたようですが。


さてさてラグタイムのこのちょっと小綺麗な感じが、そのまま当時の南部黒人の心にフィットするか?と言われると「いやいや〜物足りないでしょ!」と思ってしまうのは当時の様子を妄想中の私だけではないはず!?

やはり、ラグタイムが発生した直後から、南部黒人の民族音楽とも言えるブルースと混ざり合い泥臭く人間臭いピアノスタイルが産まれてきます。
“バレルハウス” “ホンキートンク” という安酒場ではボロボロのピアノをガンガン叩く様に弾くスタイルが生まれ、それがそのまま“バレルハウス・ピアノ” “ホンキートンク・ピアノ”と呼ばれる様になり、まさにそれがブギウギピアノになるわけです。

エアガレージ講師の荒井伝太氏、酒場ではなく地下スタジオで調子っぱずれのピアノを弾く。

1920年代にはシカゴにブギウギピアニストが集まります。シカゴではアパートの家賃の払えない人がブギピアニストを傭いパーティを開いてその会費の上がりを家賃に当てる習慣があり(ハウス・レント・パーティと言います)、そのパーティで腕を磨いたピアニストも多数居ました。

その一人Pinetop Smithの "Pinetop's Boogie Woogie"(1928)


この曲で初めてブギウギという言葉が使われたとされています。


長文になってしまったので、今日はこの辺で。おつきあいアリガトウゴザイマス

つづく。


参考図書:中村とうよう著 "大衆音楽の真実"
参照サイト wiki http://en.wikipedia.org/wiki/Ragtime


おぐ

バックナンバー
1. ロカビリー誕生イントロ
2. ヒルビリー
3. スライドギター
4. ウエスタン・スウィング(戦前)
5. ウエスタン・スウィング(戦後)